プレイングの下地の話
2012年7月5日 MTGに関する話 コメント (9)http://52378.diarynote.jp/201207051954254285/
みつひでさんの記事
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「でも、どうせ運ゲーなんでしょう?」
カードゲームを知らない人はカードゲームをそう感じている。
でも、僕たちはもうその台詞はMTGというカードゲームの一つの側面しか捉えていないことを知っている。MTGは全てのカードにマナコストが指定されてあり、引いたカードが効果を発揮するにはそれに応じた土地のような様々なコストがある。だから、僕たちは運ゲーを乗り越えてゲームに勝つための様々な手段を模索する。
ある人はメタゲームを研究し、それに見合ったデッキを構築しようとする。それも一つの手段だ。皆大会前夜には今の環境を考え、様々なデッキを意識しながらデッキを作り、サイドボードを練る。そして、会場入りしてから、会場を見渡して、数枚カードを入れ替えたりするかもしれない。
大会が始まり、ペアリングが貼られ、席につき、自分と相手のデッキをシャッフルし、先攻後攻を決める。ここからはカードを引き、プレイしていくだけだが。ここからは全て運任せ……なんてそんなこともなく、まだまだ技術介入の余地はある。所謂、プレイングだ。
マジックを初めてもうすぐ4年目になろうとするんだけど、プレイングというのは未だに未知の領域が多い。デッキ構築に関しては、様々な理論が記事にされていたり、今のメタゲームを的確に読み、それに見合ったデッキの、ノウハウとまではいかなくとも様々な調整録が残っている。
しかし、プレイングの記事となると、途端に数が少なくなる。皆興味が無いはずは無いのに。実際マジックを始めたての頃に正しいプレイングというものが分からなくてネットでぐぐったりしたので、経験としてある。どんな環境でも通ずるセオリーのようなプレイングの記事は少なすぎる。
三年前のマジックを始めたばかりの右も左も分からない頃の僕と比べて、今の僕は明らかにプレイングが向上したように思う。しかし、それは証明出来ない。昨夜ツイッターでまひろっちと会話したが、プレイングを数値のような客観的指標にするには、大きな困難が伴う。
マジックは自分と相手のドローの組み合わせで無数のシチュエーションが生まれる。それら全てを精査しながら指標化するのは、知能をIf Doの組み合わせで表現していくかのような滑稽ささえ伴う。
そこで今回のみつひでさんの記事である。
マジックのプレイングをセオリーの積み重ねで表現出来ないか、というのは、非常にわかりやすい。確かにマジックを始めた頃の自分と比較し、今の僕はみつひでさんが書かれていた具体例を、言語していなかったにせよ、感覚で理解していた。つまり、これらを学習したこととプレイングの成長とは密接な関係があるのではないか。
このようなセオリーも条件を細かくしていけば量の爆発は防げないが、逆に抽象化をはかることにより、コンパクトにまとめることは出来ると思う。
《思考囲いはセラピーの感覚で打つ》
思考囲い、強迫、コジレックの審問、蔑みと無数にハンデスは存在するが、これらは一律とハンデスとまとめていけばコンパクトになる。除去、ファッティ、マナクリとマジックには歴史を通じて存在するカード群がまとめられている、これらに関連付けたセオリーをまとめていく、こうしてセオリーのライブラリは濃度を下げないまま数を増やせる。
もしくはもっと具体的にデッキにおけるセオリーでもいいかもしれない。
勿論、このまま英単語を覚えるようにセオリーを覚えても仕方がない。そのセオリーの背景となる理論を一緒に学ぶのはマジックというゲームの理解に大きく役立つ。少なくとももっと細かい状況に応用していける。
現状、そのようなセオリーはある程度意識はされているが、広まり方はネットを介さずに口伝のような気がする。つまり、ある程度セオリーというのを理解し、言語化出来た人が身近な友人に話すのである。
何故、日本勢は勝てなかったのか、という懐かしい記事がある。それの中で触れられていたことに、日本のコミュニティの閉鎖化というものがあったことを覚えている。強い人たちのグループでは当たり前のセオリーも、セオリーに関する記事はネット上に上がらない以上、下のグループには広まらない。そのようなところもなかなか新しい世代が生まれないと言われる所以かもしれない。
実際の話をすると、そういうセオリーは多分皆無意識化に存在していて、なかなか言語化することは出来ないと思います。みつひでさんはよくあんなに一杯出たなーと尊敬するくらい。
でも、だからこそ、たまにふっと頭に浮かんだら、DNなりコメントなりに残して、誰かが読める形にすれば、そこで誰かしらの目に留まれば、コミュニティの財産になっていくと思います。
みつひでさんの記事
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「でも、どうせ運ゲーなんでしょう?」
カードゲームを知らない人はカードゲームをそう感じている。
でも、僕たちはもうその台詞はMTGというカードゲームの一つの側面しか捉えていないことを知っている。MTGは全てのカードにマナコストが指定されてあり、引いたカードが効果を発揮するにはそれに応じた土地のような様々なコストがある。だから、僕たちは運ゲーを乗り越えてゲームに勝つための様々な手段を模索する。
ある人はメタゲームを研究し、それに見合ったデッキを構築しようとする。それも一つの手段だ。皆大会前夜には今の環境を考え、様々なデッキを意識しながらデッキを作り、サイドボードを練る。そして、会場入りしてから、会場を見渡して、数枚カードを入れ替えたりするかもしれない。
大会が始まり、ペアリングが貼られ、席につき、自分と相手のデッキをシャッフルし、先攻後攻を決める。ここからはカードを引き、プレイしていくだけだが。ここからは全て運任せ……なんてそんなこともなく、まだまだ技術介入の余地はある。所謂、プレイングだ。
マジックを初めてもうすぐ4年目になろうとするんだけど、プレイングというのは未だに未知の領域が多い。デッキ構築に関しては、様々な理論が記事にされていたり、今のメタゲームを的確に読み、それに見合ったデッキの、ノウハウとまではいかなくとも様々な調整録が残っている。
しかし、プレイングの記事となると、途端に数が少なくなる。皆興味が無いはずは無いのに。実際マジックを始めたての頃に正しいプレイングというものが分からなくてネットでぐぐったりしたので、経験としてある。どんな環境でも通ずるセオリーのようなプレイングの記事は少なすぎる。
三年前のマジックを始めたばかりの右も左も分からない頃の僕と比べて、今の僕は明らかにプレイングが向上したように思う。しかし、それは証明出来ない。昨夜ツイッターでまひろっちと会話したが、プレイングを数値のような客観的指標にするには、大きな困難が伴う。
マジックは自分と相手のドローの組み合わせで無数のシチュエーションが生まれる。それら全てを精査しながら指標化するのは、知能をIf Doの組み合わせで表現していくかのような滑稽ささえ伴う。
そこで今回のみつひでさんの記事である。
マジックのプレイングをセオリーの積み重ねで表現出来ないか、というのは、非常にわかりやすい。確かにマジックを始めた頃の自分と比較し、今の僕はみつひでさんが書かれていた具体例を、言語していなかったにせよ、感覚で理解していた。つまり、これらを学習したこととプレイングの成長とは密接な関係があるのではないか。
このようなセオリーも条件を細かくしていけば量の爆発は防げないが、逆に抽象化をはかることにより、コンパクトにまとめることは出来ると思う。
《思考囲いはセラピーの感覚で打つ》
思考囲い、強迫、コジレックの審問、蔑みと無数にハンデスは存在するが、これらは一律とハンデスとまとめていけばコンパクトになる。除去、ファッティ、マナクリとマジックには歴史を通じて存在するカード群がまとめられている、これらに関連付けたセオリーをまとめていく、こうしてセオリーのライブラリは濃度を下げないまま数を増やせる。
もしくはもっと具体的にデッキにおけるセオリーでもいいかもしれない。
勿論、このまま英単語を覚えるようにセオリーを覚えても仕方がない。そのセオリーの背景となる理論を一緒に学ぶのはマジックというゲームの理解に大きく役立つ。少なくとももっと細かい状況に応用していける。
現状、そのようなセオリーはある程度意識はされているが、広まり方はネットを介さずに口伝のような気がする。つまり、ある程度セオリーというのを理解し、言語化出来た人が身近な友人に話すのである。
何故、日本勢は勝てなかったのか、という懐かしい記事がある。それの中で触れられていたことに、日本のコミュニティの閉鎖化というものがあったことを覚えている。強い人たちのグループでは当たり前のセオリーも、セオリーに関する記事はネット上に上がらない以上、下のグループには広まらない。そのようなところもなかなか新しい世代が生まれないと言われる所以かもしれない。
実際の話をすると、そういうセオリーは多分皆無意識化に存在していて、なかなか言語化することは出来ないと思います。みつひでさんはよくあんなに一杯出たなーと尊敬するくらい。
でも、だからこそ、たまにふっと頭に浮かんだら、DNなりコメントなりに残して、誰かが読める形にすれば、そこで誰かしらの目に留まれば、コミュニティの財産になっていくと思います。
コメント
この記事あとで読み返すためにブックマークさせていただきました。
この記事を自分の日記に取り上げたいなあと思っているのですがよろしいでしょうか?
DNはじめたばかりでそのへんの勝手が分からない・・
一応リンクフリーみたいな体裁を取っているのでご自由に使っていただいて大丈夫です。そもそも僕はみつひでさんの記事勝手に引用してますしね
でも僕はまだ強くなるつもりですよ!
俺もあの記事見てみつひでさんを尊敬しました...